她很漂亮。「とても」って訳さないのに、なんで「很」が必要なの?
今天很热もそうだよね。なんで「很」がいるの?
今回は、誰もが抱くこの中国語文法の疑問について解説していきます。
YouTubeで視聴する中国語文法の七不思議の1つめとして本記事の内容を紹介しています。
「很」に関する前提的な話「她很漂亮」「今天很热」
なぜ「とても」を意味する「很」を訳さないのか?
意味を果たしていないのにな「很」が必要なのか?
この謎を解き明かしていきますが、まず前提として「很」にアクセントを置いて読めば「とても」のニュアンスを示すと言われています。
ただ一般的に「とても」の意味を強調したい場合には
- 她太漂亮了
- 今天非常热
- 今天热死了
といったような形で表現することが多いです。
なので多くの場合「很」は軽く読まれ、「とても」のニュアンスを示しません。それなのになぜ「很」がくっついているのでしょうか?
【重要】中国語では「話し手の魂」が大切になる
「很」が必要な理由を一言でまとめると、話し手の魂を補う役割を果たしているから。
....話し手の魂....??
こんな感じだと思うので、一つずつ解説していきます。
まずざっくり知っておいて欲しいこととして、中国語は「話し手の魂」がないと文として成立しないということ。なぜかというと、中国語はすごくエモーショナルで人間味を大事にしている言語だから。
正直なところ「她漂亮」とか「今天热」みたいに「很」をつけずに言ってもいいんですよ。でもこれだと「カノジョキレイ」「キョウアツイ」みたいに機械的であまりに冷たいし面白くない。
つまり、このままだと中国語文法が大事にしている話し手の魂や気持ちみたいなものが含まれてないことになる。
だから「她漂亮」みたいに書くと、先生から「うーん、これは”很”がないからダメだね」と理由もなくただ間違いを指摘されるのです。
"很"を使うことで変わるニュアンス「じゃあどうすればいいのか?」
ここで「很」を使うわけです。
いわば「她漂亮」の文章に欠けた「心」を埋めてくれる役割を果たすのが「很」ということ。ここでは「很」を使っていますが、別に「很」じゃなくてもOKです。
她太漂亮了
→ こうすれば「彼女はきれいすぎる」となり、話し手の主観的な感情や気持ちが見えます。だからOK。
她不漂亮
→こうすれば「彼女はきれいではない」と失礼ながらも否定表現を通じて、話し手の感情や気持ちが見えてきます。だからこれもOK。
疑問文も同様に考えられます。
她漂亮吗?
→意味としては「彼女はきれいですか?」となりますが、これは話し手が”彼女”に対して何かしらの疑問を抱いているからこそ生まれる表現。つまり、話し手の感情が疑問文となって表れているわけなのでこれもOK。
否定文や疑問文というのは、「否定」や「疑問」という形式を通じて、自ずと「話し手の気持ちや感情」が含まれていると言えます。
だから否定文や疑問文では「很」をつけなくてもいいのです。ちなみに「很」をつけると本来の意味「とても」というニュアンスが付加され強調表現に変わります。
她很不漂亮
→こうすると「彼女はちっともきれいではない」と大変失礼な表現に。
她很漂亮吗?
→こうすると「彼女はとてもきれいですか?」と「とても」の意味が生まれます。
一方の肯定文ではどうでしょうか?
肯定文においては意図的に話し手の気持ちや感情を表す言葉を入れてあげないと「她漂亮」とか「今天热」のように、魂が入っていない文章が生まれてしまいがちになります。
だから中国語の文章に「魂」となる「自分の気持ち」を入れてあげましょう。
カギを握るのが「副詞」です。
副詞は「話し手の気持ち」を補完する役割を持つ
中国語においても品詞分類上「副詞」というものが存在しますが、そもそも副詞とは何でしょうか?
副詞は動詞や形容詞といった用言を修飾するもので、専門的な言葉で「連用修飾語」、中国語だと「状语」といわれます。
副詞には
- 很、非常、更のような程度を表す副詞
- 经常、往往、常常といった頻度を表す副詞
- 才、就、一直などのような時間を表す副詞
- 一定、大概、果然といった語気を表す副詞
など、たくさんの種類があります。
ここでは文法上の難しい用語や副詞の種類なんてどうでもいいです。ここで押さえて欲しいのは
副詞には話し手の気持ちを表し補足する役割がある
という点です。
特にわかりやすいのが
- 「きっと」を意味する「一定」
- 「たぶん、おそらく」を意味する「大概」
- 「やっぱり」を意味する「果然」
などの語気を示す副詞。
どうですか?
どれも話し手の推測や主観的な意見・感情が含まれていますよね。
ただの味気ない文章に華を添え、感情という魂を入れてくれるのが副詞の隠れた役割なのです。
「很」1つをとっても、ただ「我喜欢日本」というのと、「很」をつけて「我很喜欢日本」というのでは、そのニュアンスやこもっている気持ちは大きく変わってきます。
ここまでの内容で何となくでもわかってきたと思いますが、中国語は「話し手の魂」がないと文として成立しないのです。
だから「她漂亮」とか「今天热」には、話し手の感情を補足する役割を持つ副詞の代表格「很」をいわば飾りとして付ける必要があったのです。
言い換えれば、「很」は文法のルールにしたがって話し手の魂を補完していたに過ぎないということ。そのため、本来の意味「とても」と訳す必要がないのです。
「很」を付けないことで生まれるニュアンス参考程度に伝えちゃいますが、肯定文で「很」をつけないと、その文は比較のニュアンスを持ちます。
比較のニュアンスを出す際には、あえて「很」を付けなくても良いということ。たとえば
- 今天热,昨天冷
- 哥哥帅,弟弟不帅
こういった形で使われますね。
1つめの文章は「今日は暑いが、昨日は寒かった」となりますし、2つめであれば「兄はカッコいいが、弟はそうでない」と比較のニュアンスが生じます。
たまにこういった文章も出てくるので、あわせてインプットしておきましょう。
まとめ:「很」は話し手の感情を補完する役割!中国語文法に従って付けてるだけ
ということで今回は「很」の本質的な役割を交えつつ解説してきました。
正直あってもなくてもいいけど、基本的には付けてあげた方がネイティブっぽい自然な表現になる。否定文や疑問文では、その形自体で話し手の感情が(自然と)含まれるので、特に何も意識する必要はない、だけど、肯定文では(意識的に)很のような副詞を付けてあげないと、話し手の感情がポッカリ抜けた文章になるから気を付けよう。まあとりあえず很を付けて置けばOKだよ。ないと比較のニュアンスが生じるよ。
すごく簡単にざっくりまとめるとこんな感じになりますね。
很をつけるかどうかに固執し過ぎる必要はないので、本記事を読んで何となく理解したら、あとは他のことに時間を費やした方が効率的だと思います。
ではまた別の記事でお会いしましょう、下次见!